院長ごあいさつ
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笑顔になる接骨院
- 西 達季(にし たつき)
- 市川さくら整骨院 院長
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出身地:兵庫県宝塚市
血液型:A型
趣味・特技:映画鑑賞・料理
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ
お身体のことはなんでもご相談ください!!1日でも早く理想のお身体に近づくように全力で施術させていただきますので宜しくお願い致します!!
施術家になるまでの自分学生時代のほとんどを部活動であるサッカーに時間を費やすほど、スポーツ好きな学生でした。当時はスポーツトレーナー、警察官、美容師、インテリアデザイナー・・・と将来就きたい仕事がたくさんあり、とても悩んでいました。 そんな高校生のある日、サッカーの大事な試合中に重度の肉離れを起こしてしまい、サッカーはもちろん、走ることもまともに歩くこともできない状態になってしまいました。すぐに病院に行きましたが、サッカーをするには最低3ヶ月はかかると言われました。少しでも早く治るように、家の近くの整骨院に毎日のように通い続けました。その整骨院の先生は毎日全力で施術してくださり、「1日でも早く治すからな、またサッカーできるのが楽しみや」と声をかけてくれました。
最低3ヶ月かかると言われた肉離れもその先生のおかげで2ヶ月で復帰することができました。その時、いろいろある職業の中から「スポーツトレーナーになりたい」と強く思いました。スポーツに全力で取り組む人の夢や希望を全力で応援し手助けがしたいと思い、柔道整復師が取得できる大学に進学して今に至っています。 今はスポーツをしている方だけではなく、全ての方が理想のお身体になるよう日々施術させていただいております。
新人・修行時代の自分この会社には中途採用で入社しましたが、その前は個人の整骨院で働いていました。前の整骨院では、院長と私の二人体制で、色々なことをひたすらがむしゃらに学ぼうと必死でした。そこで得た知識、技術を使って母校のサッカー部にボランティアでトレーナー活動をしたり、近くのサッカークラブでもボランティアでトレーナー活動をしたり、スポーツトレーナー団体に所属し他の施術家と関りを持てるようにしていました。ある日、出身大学を訪れると就職説明会が行われており、そこで今の会社と出会いました。
たくさんの施術家がいると聞き、いろいろ話ができると思い急いで連絡したのを覚えています。入社直後は今までに経験したことのない数の施術をし、数えきれない施術メニューを習得するのに必死でした。前の整骨院よりもがむしゃらに学ぼうと必死でした。諦めずがむしゃらに学んだおかげで、今ではたくさんの方に施術することができ、みなさまとお話することがとても楽しいです。施術をしていて一番うれしい事は、患者様が「スッキリした。今日もありがとう」と言って笑顔で帰られることです。これからもたくさん「ありがとう」と言っていただけるように全力で施術していきます。
スタッフ紹介
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道産子鍼灸師
- 高羽 志門(たかば しもん)
- 施術スタッフ
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出身地:北海道札幌市
血液型:A型
趣味・特技:野球観戦、岩盤浴、ショッピング
資格:鍼師、灸師
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地域のみなさまへ
毎日お仕事、勉強、部活お疲れ様です。腰痛や肩こりだけでなく、なんか元気が足りないなや、頭痛やストレスといった不定愁訴も治していきますのでぜひお気軽に市川さくらにお越しください。
施術家になるまでの自分男三兄弟の末っ子で生まれた私は、3歳の頃から兄の影響で野球をやっていました。本格的に野球を始めたのは小学校2年生の頃でした。そこから高校3年生まで野球を続けていました。中学校3年生まではケガもなく順調に野球をしていましたが、高校に上がってからはケガに苦しむ野球生活でした。私は小学校の頃からピッチャーをやっていた為、高校でもピッチャーを続けておりました。高校から硬球に変わって肩への負担が大きかったせいか、高校1年の秋に野球肩になりました。そこから整形外科でリハビリをしながら、知り合いの整骨院の先生にも診てもらいました。しかし、周りの同級生が試合で活躍していて焦ってしまい、だましだまし練習をして、痛くないと言って試合に出ていました。そのせいで2年秋には投げるたびに痛くなり、まともにボールを投げることすらもできなくなりました。思うように野球が出来ずほぼ毎日練習が終わると泣いていました。3年生になって高校生活最後の大会の前の背番号を渡す日が来て、周りの同級生や下級生が貰っていく中、私は最後まで名前を呼ばれずにベンチ外になりました。今までの人生で一番の挫折を味わいました。悲しいというよりも悔しい思いのほうが強かったです。何でもっとじっくりリハビリをしなかったのだろうと思いました。周りのチームメイトを見ていて焦る気持ちが強すぎた事が一番の後悔でした。
そんな経験をした時に、自分と同じ経験をしている人は沢山いるのだろうと思いました。なのでこれから自分と同じケガで苦しむ人を無くしたいと思い、治療家の道を進もうとおもいました。
新人・修行時代の自分新人の頃は、高校の頃からお世話になっていた先輩が院長を勤めていた院で働いていました。自分の事をすごく気に掛けて頂いて、一から色んな事を教えて頂いていました。
そこの院は院長を中心に元気が良く、患者様と和気あいあいとした雰囲気で治療をしていました。当時の私は施術も上手くなく患者様との会話も全然出来ずにいて、よく院長に注意されていました。
敬語の使い方や社会人としてのマナーもままならず、電話に出て対応をした後は先輩の先生に毎回怒られていました。
私は怒られるとすぐに元気が無くなり、切り替えれずに施術に入りまた患者様との会話が無くなりまた注意される、そういった毎日を送り辞めたいなと思ったこともありました。
そんな私とは正反対の性格だったのが当時の院長で、明るくて活気があって、どんなことがあっても仕事になれば元気になって切り替えることができるといった方でした。
私は院長のようになりたいと思いましたが中々そうはいきませんでした。
そんな私を見て院長が言った一言が今でも心の中にあって、それが「俺はお前と正反対だから俺のようになる必要はない、人それぞれ違う明るさがある」という言葉です。
その言葉を聞いて心が軽くなりました。そこから患者様との会話が増え、少しずつ結果を残せるようにもなりました。
今でもその言葉を忘れず、誰かを目指そうとせずに自分の良さを前面的に出せるようにしようと頭の中で考えています。
まだまだ未熟ですが、初心を忘れずにこれからも成長できるように頑張ります。